プロミシング・ヤング・ウーマン

エンドロールを眺めながら呆然とした。

 

キャリー・マリガンの妖精のような美しさ(特に水色のワンピースを着たキャシーが木立の間を佇むシーンなんて絵画のようだった)、その妖精にぴったりの少女趣味な実家の家具、ファンシーなコーヒーショップ、ポップな色使いのネイル。キャシーの周りがファンシーであればあるほどキャシーの復讐の暗さが引き立つ。

 

キャシーの復讐は綿密で、そして復讐でありながら、ニーナが感じた恐怖を理解させるまでで、同じ目には遭わせない。それはキャシーの優しさかと思ったけど、アルと同じ側に立ってたまるかという信念なのかもしれない。

 

みんなガキだったから、というけど、そんな理由では片付かない。どんな犯罪もガキだったからという理由では許されないのに、性犯罪だけは許されると思ってる。挿入される側の恐ろしさ、苦しさ、悔しさなんて分からないから、ガキだったからだなんて言えるんだ。

 

キャシーは最後復讐を果たせて嬉しかっただろう。スケジュールされたメッセージや、弁護士への手配もばっちり済ませているあたり、復讐を果たせるなら死んだっていいと思っていたんだろう。でも彼女を心配する両親、恋人を連れてきて喜んだ両親、彼女を心配するあまり感情を乱す母親、確実に心配していて、そしてキャシーが変わってしまった理由もきちんと理解していて、言いたいことがたくさんあっただろうに見守ろうと決めて、予定な干渉はしないようにしていた父親。この二人のことや、そして医師になろうという夢を捨ててまで復讐を続けたキャシーのそれまでを考えると(もちろんニーナのことは言うまでもない)、それら全ての元凶である性犯罪は、とうてい「ガキだったから」なんていう理由では許されない。

 

toxicの弦楽器アレンジ、toxicという曲自体ファンシーなおどろおどろしさがあるけど、それをまたグッと引き立てていた…